[副校長] 私の人生論

私の人生論
だいぶ歳を重ねた為なのか、父親も母親も無事に看取る事が出来た為なのかは分からぬが、近頃は人生について考える事が増えてきた。人生について考える時、若い頃の人生観と年配になってからの人生観とでは、だいぶ違いがあると驚いてもいる。

十代や二十代の頃、人生はとてつもなく長いものだと感じていた。その長い時間を進学や就職、結婚などを選択しながら延々と生きていくものだと思っていた。延々と生きて行くのだから、人生のどの選択も楽しいものであって欲しい。しかしそれ以上に失敗したくないと思っていた。長い人生、一度失敗すると取り返しがつかなくなる。だから選択の際は、将来が不安にならない方、より無難な方を選んでいた。高校時代の文理選択では、水族館の学芸員になりたいという夢を親の猛反発で断念し文系に進んだ。大学選びでは、名の知れた大学だけを受験した。就職だって同じようなもの。なりたい道には進んだものの、将来の安定した生活を考えて選んだと言われても否定は出来ない。その結果が今の自分だ。失敗もしてこなければ不安も無い日々を過ごせている。しかし同時に、これで良かったのだろうかという思いで人生を振り返っている自分が居る。

今こうして人生を振り返ってみて、思う事が幾つかある。その一つは、人生は若い頃に思っているほど長くは無いということ。同級生の中には若くして亡くなった者、人生設計の道半ばで他界した者も複数いる。自分自身だって数年前に重い病を患い、死を覚悟した。歩んで来た人生の長さは短く、残りの人生の長さを思うと愕然ともなる。自分の人生が何十年も長く続いていくなんて保証は誰にも無いのだ。そう考えると、無難な選択をするより、失敗を恐れずにもっと冒険しても良かったかなと思えてならない。安泰な道を選ぶよりワクワクする道を選んだ方が、何倍も楽しい人生だったかも知れない。もちろんそれには、何倍の苦労も付いてくるのだろうが・・・。しかしこれには「なにも不安の無い、老い先短いあなただから言えるのだよ」と、ご批判もあるかも知れぬ。それでも「冒険心は大切に」と、人生の後輩たちには申し送りたい。

そしてもう一つは、人生を一本の長い道と考えると息が切れる。なので例えば20年刻みで分けて考えてみてはどうだろうということ。人生が何たるものか分からない幼き時代から、如何様にも進む事の可能な最初の20年間。自分の選んだ道を無我夢中で走り抜ける次の20年間。歩んだ道を振り返りながらも、新たなステージに思いを馳せる後半の20年間。そして、残りの人生を思うがまま生き抜く最後の20年間という具合に。人生を何段階かに分ける事によって、中長期的な目標や計画を立て易くなり、たとえその間が思うように行かなかったとしても、次のステージで挽回のチャンスが生まれて来る可能性が増えると思う。かく言う自分は、次の新たなステージの事をワクワクしながら考え始めている。(これについては、後日改めて述べたい)。まぁ、人生を如何様に考えるかは、個人の自由。しかしいずれにせよ、人生では不安や苦労が付いて回る。避けて通ったとしても叉やって来るのが、こいつらの特徴だ。だとしたならば「失敗や苦労を笑える力」が人生には一番必要なのだと確信している。

私の成人した二人の娘たちは、思い思いの人生を選択し歩み出している。興味があること・やりたい事には果敢にチャレンジする、天真爛漫な長女。自分の夢だった職業に就き頑張り始めた、しっかり者の次女。彼女達を見ていると親として微笑ましく、こっちまで元気が出る。後悔だらけの私の人生はもう残り少ないだろうが、娘たちには「失敗や苦労を笑える力」を身につけて悔いの無い人生を歩み続けて欲しいと願っている。それは全ての親や大人たちが、子供たちに抱く思いでもあると信じている。

「大人は子供達の未来に、我が人生を託す」これも私の人生論に加えよう。

若者よ、人生を笑顔で進め!

 

2019.1.26 副校長 伊坪 誠

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