[副校長]  青い季節(とき) ②

『蒼い季節(とき)②』

♪「砂混じりの茅ヶ崎 人も波も濡れて… 今何時 そうね 大体ね」♪

なんじゃこれ? 自分とサザンの出会いは高校1年の時、部活の集まりで行った上級生の教室の背面黒板にぎっしりこの詞が書いてあった。初めて見る意味不明の詞がデビュー曲「勝手にシンドバット」の歌詞だと知ったのはそれから数日のことだった。歌番組に新人として出演していた彼らは、短パンにランニングシャツ。歌い方も独特で、当事は一発屋のコミックバンドとしか思われていなかった。しかし、翌年発売した「いとしのエリー」で、その定説は覆された。その後の彼らの活躍は諸君もご存知のことだろう。

あれから30年以上の歳月が流れた。当時高校生・大学生だった若者も、目じりにしわが増え、白髪が目立つ世代となった。しかし、高校時代の何気ないシーンや友人との会話、授業中に先生が語っていた雑談、好きだった女子が「あの時」着ていた服の小さな模様まで鮮明に覚えている。30年という月日は、遠いようでいて驚く程近いのだということを、四半世紀をゆうに過ぎた今もサザンの歌声は教えてくれている。

しかし、長い歳月の間に忘れ去られてしまった記憶も多いのも事実。いったい、覚えているものと忘れ去られるものの違いは何処にあるのだろうか。それは、出逢ったときの衝撃の強さにあると言える。しかし、もっと重要なことは、ひとつの言葉、1つのシーンを自分自身の中で何度も反芻(はんすう)すること、何度も見詰めなおすこと、その言葉やシーンの持つ意味を自問することなのだ。歌でも何でもその回数が多いほど、記憶は色褪せず、未来に意味をもたらせる。反対に、どんな強い衝撃的出会いでも、それが無ければ、忘れ去られてしまうのだ。また、反芻・見詰める・自問する人は、何気ない事柄からも、生きるヒントを見いだし成長し続けることが可能となる。

この長い休み中、外出は自粛でもSNSを使えば、たくさんの良いものたちと出会う事が可能だ。諸君は幾つの歌や言葉と出会うのだろう。そして、その出会いの幾つが、数十年後の自分の成長に繋がるのだろう。それは全て自身の姿勢にかかわってくる。

健康に留意し、意義深い休みとして欲しい。

 

2020.3.31(過去の自著を一部改編)

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠