[ 副校長 ]令和3年の終わりによせて

令和3年の終わりによせて

今年も、コロナ禍で様々な制約を強いられた一年となってしまいました。それでも、休み時間の廊下は毎日生徒達の明るい声と屈託のない笑顔が絶えませんでした。彼らを見ていると、還暦近いこっちまで元気になってくるから不思議なものです。そんな彼ら一人ひとりの顔や声にも、心なしか元気のない時がありました。特に3年生。志望校が決まらず悩んでいる顔、就職試験で思うような結果が出ずに落ち込んでいる顔などです。コロナ禍だろうがなかろうが、またどこの高校の生徒であるかに関わらず、彼ら高校3年生にとって進路に対する苦悩は、進路活動に真剣になればなるほど多くなることと思います。しかし、私の教師人生の中で、こんな3年生のクラスもありました。

その年、私は3年進学クラスの担任でした。確か秋も深くなって来た頃だと思います。ふと、生徒達の表情の変化に気づきまた。入試本番が近付くにつれ浮き足だって来るのが大方の受験生ですが、そのクラスの生徒たちの表情は徐々に落ち着いて来ている様に感じたのです。それは3学期はじめの授業で、より鮮明になりました。多くの高校では、3年3学期の授業は受験勉強のために欠席者が増えると聞きます。しかし、彼らはほとんど欠席することなく登校し、教室はいつもと変わらぬ声と笑顔に満ち溢れていたのです。さらに、彼らの顔と姿勢には、学年当初にはなかった「頼もしさ」が加わっていました。それは、受験勉強という試練を自分のものにする事が出来た者たちだけが得ることの出来る姿でした。

ゆとり教育がおこなわれる前、一部の人々はそれまでの学校という風土が築き上げてきた様々なものを否定しました。そのことによる歪が表面化すると、今度は放課後の教室に塾を入れ、成績上位者を対象に補講をおこなう学校が注目され始めました。学校教育の目的は細かく分ければ幾つも有りますが、大切なのは子供たちを「社会に貢献し得る、良き大人にする」という事に尽きるのではないでしょうか。そのような大人になるためには、生徒自身が様々な課題や難問にぶつかりながら自己を探求していくしか方法はありません。また、単に入試問題を解くテクニックなら予備校で十分ですが、学校は違います。全日制であれ通信制であれ、全ての高校は決まった答えの無い問題にもしっかりと向き合う場です。そのような問題に真剣に向き合いながら自己を成長させる場が学校なのです。正解がないのが個々の進路選択。だからこそ、自己の進路選択とその実現への取り組みは、まさに学校という教育機関の中で人が成長するのに欠かせない問題となるわけです。このブログをお読みの高校生の皆さん、自分の無限の可能性を信じて、是非この難問に果敢に挑んでください。

難問を解くには、多くの時間と熟考が必要になりますが、それが進路の問題なら、汗だけでなく涙さえ流さねばならない場合もあります。しかし、決して心配する事は有りません。なぜならば、学校には君の仲間がいて、答えが出るのを待っていてくれる先生たちがいるのですから。

学校は、困難を乗り越えようと日々成長する生徒のエネルギーと、それを支えて応援する多くの仲間や保護者の皆さん、加えて教師たちのハートを原動力に発展していくものと私は信じています。

さぁ高校生諸君、あなたの高校と共に歩み、大いに成長しようではありませんか。

 

2021/12/23

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠