[副校長] 自由と平等

まだ構想の段階だが、こんな物語を考えた。

 

『自由と平等』

僕の高校には校則がない。「校則が無ければ、生徒達は自由でやりたい放題になるのではないか?」と、別の学校の友人や大人達から質問される事もある。しかし決してやりたい放題に振る舞う生徒達の学校でないことは、一度見学に来れば理解していただけると思う。そもそも、自由とやりたい放題は別物で有ることを本校の生徒達は知っている。なぜなら、自由とは義務を負い、責任を果たした上で手に出来ることを理解した者だけが、入学を許可されているのだから。かく言う僕も、入学時に約束し、胸に刻んだ。だから、自分を律しながらも、伸び伸びと有意義な高校生活を過ごしている。入学してから、ずっと僕は、この学校で生活出来る事を、幸せにも誇りにも感じていた。しかし、ごく一部の生徒は、その約束を忘れてしまったのか、または自由の意味をはき違えているのか、良からぬ行動をしてしまう事がある。そういう生徒に限って、そのことを指摘されると「ルールが有る訳でないのに、注意されるのは納得がいかない。第一、同じ事をしている他の人が注意されないで、僕だけが注意されるのは不平等だ!」と、もっともらしい主張を始める。

先日も、数人の生徒達から出たこの手の「不平等だ」発言で、職員室は蜂の巣をつついた様に慌ただしくなった。民主主義社会下で不平等・不公平な学校では、保護者や世間から批判を浴び、経営が成り立たなくなる。だから、不平等と言われぬように平等なルールを作ろうと、先生達はやっきになっているのだ。校内では、連日長時間に及ぶ職員会議がおこなわれた。会議では、平等にするためには、厳しい校則を設けようという議論になった。新たに設ける校則は、禁止事項を中心に明記し、罰則には個々の事情も日頃の生活状況や反省態度なども一切考慮されない。そんなものをいちいち聴取し判断していては、先生方の時間が足りない。第一、今問題となっているのは不平等の是正であって、自由についてでは無い。自由だから、生徒も不公平だの不平等だの言いたい放題の発言をするのではないか。という意見が職員会議の主流となっていった。職員室前の廊下で連日の会議に聞き耳を立てていた僕と数人の友人は、毎日気づかれないように、会議の推移をじっと見守っていた。

ある日の職員会議の終盤。そんな僕たちの耳に、一人の先生の発言が聞こえてきた。

『自由な学校が自由でなくなる落とし穴があるとすれば、それは「平等」という言葉。確かに平等は見過ごせない大切な事柄です。しかし平等を過度に追求し続けると、自由でなくなる。本来、平等は自由を補完するためのものであり、その自由は義務と責任を果たしたうえで手に入れられるものであります。つまり校則の無い私たちの学校だからこそ、「自由と平等」この二つの言葉の意味とバランス感覚を、生徒も先生も問い続け、子供達を育み、理想の世の中を子供たちと共に作り続けて行くことが必要なんだと思います。それには、確かに時間がかかります。しかし、それを校則というものを設けずに実践し続けて行くことこそが、我々の高校、いや、この国の全ての学校が目指す教育だったのではないでしょうか。』

この発言が終わると、職員室は静まりかえった。暫くして、数人の先生のすすり泣く声が漏れてきた。それが合図かの様に、賛同する先生と反対する先生との激論が始まった。余りに長い会議と難しい議論に、廊下の僕たちは途中で帰宅した。一緒に帰った友達は、「先生たち、かなり揉めていたな」と言ったきり、話題はゲームの話に変わった。それから数日後に出された職員会議の結論は、数十項目に及ぶ校内での禁止事項と、それが明記された新しい生徒手帳の発行だった。

新しい生徒手帳が発行されると、校内で「不平等だ!」と叫んでいる生徒は一人もいなくなった。先生達は校則に照らして違反する生徒を次々に処分した。普段真面目に生活していた友人Aも、たった一度だけの小さな失敗で、学校を去る事が決まった。その事に納得出来ない数人のクラスメートが、職員室に抗議に行こうかと相談していた。しかし、その話を隣で聞いていた男子生徒の「学校批判は校則違反」という一言で、彼らは話の輪から離れ、各々の席に戻って行った。友人Aが学校を去る日は、教室も職員室も何事も無かった様に静かだった。そこにはもう、今までの様な笑顔溢れる教室も、生徒達に自由の意味を熱く説く教師集団も無くなっていた。

学校の帰り道。僕は一人、以前とは変わってしまった学校の事を考えていた。最初は自由とやりたい放題とをはき違えて、我が物顔に振る舞っていた奴らを恨んだ。次に、それを取り締まるために厳しいルールを作った先生達を憎んでみた。そう考えているうちに、普段は真面目に生活している沢山の生徒達の顔が浮かんできた。どの顔も、何故かぼんやりと霞んでいる。その中に、ただ成り行きを見守りながら心の中だけで不平不満を言い連ねていた能面の様に無表情な僕もいた。「自由の意味」「自由と平等のバランス感覚」「問続けること」「育むこと」・・・職員室での先生の言葉が、心の中にゆっくりと染み込んで行く。学校の事を考えていたのに、いつの間にか世の中全体の事も考え始めている自分に、はっとした。はっとしながらも、そんな自分を今までには感じたことのない妙な感覚で受け入れた。

駅のホームには、僕の学校の大きな広告看板がある。その看板には、数年前に学校から依頼されてモデルとなった僕と友人Aが、作り笑いを浮かべながら、今でも黙って立ち続けている。

 

2020.11.19

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠

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