[副校長] 忘れもの

『忘れもの』

夏のヨーロッパ特有の乾いた晴天のなか、ワルシャワから約二時間。エアコンが程良く効いた車内で、コーヒー片手にどこまでも続くのどかな田園風景を眺めながら列車の旅を満喫した。やがてカトヴッツェ駅に着き、そこからバスにて五十分。目的地であるアウシュヴィッツ収容所跡地は、ひっそりと訪れる者を待っていた。

小さな街を抜け、細い道を何本も走り、ひまわり畑と森を交互に抜けながら、バスは快適に過去へと進んでいく。しかし目的地に近づくにつれ、先程まで笑顔だった顔はこわばり目から涙がこぼれはじめた。今こうして同行者たちと談笑をしながら走り抜けているこの景色の中を、約七十年前この地に家族と切り離されてジャガイモのように運び込まれた人たちは、何を思い走り過ぎていったのか。それを想うと、この青空も森の優しい木漏れ日も、無性に悲しいものとなってしまった。同時に、ここに来るまでの私の不謹慎さを恥じずにはいられなかった。

アウシュヴィッツは想像以上に衝撃的だ。八万人分の女性の頭髪、持ち主の名前の記された旅行鞄。子供の衣類やおもちゃ。メガネや靴の山々。人体実験室。そしてガス室…。人間はこんなにも残忍になれることを、二十世紀は我々に教えたのだ。

翌日、ワルシャワに戻る途中。昨日と同じような青空と浮雲の景色の中。行きには気づかなかった人々の働く姿を見た。麦を刈る男女、荷を馬にひかせる老人。人が人として生きるために生活し汗を流す姿は、何人も凛として美しい。

車窓から見えるどこまでも続く空の下、ぽつりぽつりとある家々。その一つ一つに家庭があり、一人ひとりに人生がある。その素朴な毎日の営みが、家庭を築き、地球(だいち)を支えていることを、アウシュヴィッツの思い出と共に、これからの時代を創造していく君に届けたいと思う。

 

 

2020.5.8

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠