[副校長]久米宏さんを偲んで ~ 元少年リスナーより

[副校長] 久米宏さんを偲んで ~ 元少年リスナーより

恩師の訃報を知った時の様な心持ちに襲われた。1月1日に久米宏さんが永眠した。私が久米さんを最初に知ったのは1970年代、永六輔さんが土曜日にパーソナリティをなさっていたラジオ番組。久米さんはその番組で中継リポータ―的役割。元気で軽妙な口調は永さんのトークと共に番組を盛り上げていた。当時の私は小学校高学年。放送作家、作詞家、文筆家と多彩な才能を持つ永さんの歯に衣着せぬ誰にでも分かりやすい語りは、幼心ながらも楽しかった。このラジオ放送が聴きたくて、土曜日は真っすぐに学校から帰宅した(当時の小中学校は毎土曜日半日授業だった)。私の記憶では、その後久米さんは永さんから番組を引き継がれメインパーソナリティになったと思う。(確かアメリカ建国200周年祭で、久米さんはアメリカの現地からも放送していた様な…)

政治など大きな事から市井の人の暮らしまで、世の中に目を向けること・自分で考える事・考えた事を誰かに伝える事の楽しさや大切さや意味を、私は永さんや久米さんの番組で学ばせてもらった。影響を受けアナウンサーになりたいと思った時期もあった。しかし活舌の悪い自分ではアナウンサーは難しいと悟った頃から、同じ様な事が出来る仕事として、教師という仕事を意識し始めるようにもなった。

久米さんのその後の活躍は、多くの人の知っての通り。「ザ・ベストテン」を初めとしてテレビ、ラジオで多くの番組を担当なさった。中でも久米さんが「物言うキャスター」の道を拓いた「ニュースステーション」は、社会科教師としての私の教師生活開始と時を同じくして始まった。以来18年間、私は欠かさずと言っていいほど視聴し学ばせていただき、番組を見て感じた事を、授業で少なからず語らせても頂いた。個人的には、久米さんが壇蜜さんとやっていたテレビ番組「久米書店」(2015年頃)も勉強になった。

思うに久米さんの政治や社会に向き合う姿勢は、永さんの影響を少なからず受けているのではないか。政権に対しての批判精神。少数派や忘れ去られようとしているものへの温かな眼差し。戦争に対する一貫した反対姿勢。その先にあるものは、皆で同じものを見て、一人ひとりが自分の頭で考え、自分の言葉で語り、共に社会を育てていく未来。「見つめること・考えて行くこと・誰かに話すこと」。「その楽しさ、大切さ、意味を一人でも多くの人に気づいてもらいたいし、伝えて行ってもらいたい。それこそが、戦争を体験し反省しながら「戦後」を生き続けて行く私たちの使命なんだよ。」と、あの口調とお顔で、今も視聴者に語り掛けている気がする。

「キャスターが番組内で政権批判したり、自分の意見を言う事はけしからん」との声があがる昨今。訃報ではあるが、メディアの作り手と視聴者の前に久米さんが再び現れた事は大切な意味が込められているのではないか。もしや久米さん、図ったな?(笑)(泣)

久米さんの最期にして最高の演出に喝采を送ると共に、久米さんから受け取ったバトンを、次の世代に繋げよう。

 

久米さん…謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

 

 

2026年1月14日

霞ヶ関高等学校

副校長・元少年リスナー 伊坪 誠

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