[副校長] 新春に思う

新春に思う
昨年話題になったドラマのひとつに「下町ロケット」がある。有能な宇宙ロケット開発の研究者が、父親から町工場の経営を引き継ぎ悪戦苦闘しながらも夢を実現させてゆく物語である。大企業に比べて資本も技術力も及ばない中小企業である。当然周囲の多くの者達には「勝負出来るはずがない」と断言され、邪魔され、潰しにかけられる。それでも主人公とその仲間たちは、励まし支え合いながら己の技術を磨き、ついには大企業にも出来ない事を成し遂げた。観ていて何とも痛快で勇気の沸くドラマであった。

 

そんなドラマが放映されていた師走のある日、某大学の方と話をする機会があった。

その席で私が「全日制に負けない学校づくり」という本校の将来計画について説明すると、「そんなことが通信制高校に出来ますかねぇ」と言われてしまった。その時私は心の中で「通信制高校が夢見て何が悪いんだー!」と、ドラマの台詞ばりに叫んでいた。

 

高等学校である本校がロケットを打ち上げたり、医療機器を開発するはずはない。私の夢は預かった生徒を大切に育て、自立できる人材に育てて社会に送り出す事。そのような教育活動を行いながら本校の社会的評価を上げてゆき、在校生や卒業生をはじめとする本校関係者が胸を張れる学校に本校をしていく事である。

確かに全日制と異なり登校回数の少ない通信制では、生徒への伝達一つにしても苦労がいる。しかし生徒たちは皆それぞれの可能性を秘めている。あとはそれを磨き高める技術力(学校ではそれを教育力という)の問題である。私の長年の教員経験からも、本校の教職員の力量とチーム力はかなり優れていると断言出来る。なので、乗り越えるべき壁は多くとも近い将来必ずやそのような学校になると信じている。だが、ここでひとつ大きな問題がある。それは我々教師が磨こうとしているのは、金属でなく意志を持った人間であるということだ。こちらがいくら磨こうとしても、当の本人に輝こうという意思や意欲がなければ難しいのだ。これは、本校だけでなく多くの学校が抱える問題でもある。

 

生徒たちは他者に磨かれるだけの部品ではない。自分というデリケートな製品(人を部品や製品に例える失礼を許して欲しい)を一生かけて磨き続ける職人でもある。私たち教師と同じく、「霞ヶ関高校」という名の町工場の仲間と見る事が大切なのだ。まずはこのことを確認しながらチームづくりをして行こう。職人だから、磨き方にはそれぞれの方法があり、時間がかかる事もある。時には周りの教師や保護者がハラハラさせられるかも知れぬ。しかし、彼らを一流の職人に育てれば、自分という最高級品を仕上げてくれると信じている。

 

「人生で一番の不幸は自分を好きなれない事。一番の幸せは自分に誇りを持って生きる事」

そんな自分を磨き出せる職人への一歩を、この学び舎で踏み出そうではないか。

 

2016.1.8  副校長  伊坪 誠

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