[副校長] 題名「  」第一話

まだ構想の段階だが、こんな話を考えている。

 題名「     」第一話

「さあ、オリンピックが始まりました。今日も我が国の選手が金メダルをとりました。オリンピックは我が国がコロナに打ち勝った証として、また選手たちの活躍は多くの人に希望と勇気を与えてくれるものとして、大変意義があるものと私は信じています。」「コロナには、国民の皆さんの自粛に加え、ワクチン接種が行き渡れば打ち勝てます。」「コロナ感染者の増加とオリンピックは無関係であります。」

街の大型スクリーンの中で、首相が抑揚なく淡々と語っているのを、僕は最近つきあい始めたばかりの彼女と一緒に巨大な交差点の信号が青に変わるのを待ちながら観ていた。この国は昨年からコロナウイルスとの戦いを続けていて、今も緊急事態宣言が出されいるというのに、街は多くの人でにぎわっている。僕と同じように信号待ちをしていた人たちのおよそ半数は、スクリーンの中の首相とその発言にはまるで無関心のようで、スマホの画面を見つめたままだ。残り半数のさらに半分の人は無表情のまま大型スクリーンを眺めていた。僕はといえば、日本での開催が決まった瞬間から自国で開催されるオリンピックを楽しみにしていた1人で、応援したい競技や選手が沢山いる。しかしコロナ禍で緊急事態宣言が出された中でのオリンピック開催については反対だ。大切にするべきものは人の命だし、優先すべきことはオリンピックの開催でなくコロナ禍の終息であると思っている。オリンピックが開催され祝賀ムードになれば、人流は増えるに違いない。それによりコロナ患者が増える事が考えられるし、患者の中の何人かは重症化して、更に何人かは死に至る。もっと視野を広げれば、急を要する別の病気や怪我の患者さんにも多大な影響が出るはずだ。つまりオリンピックを開催せずに、コロナ禍の終息に全力をあげれば、失われずに済んだ命が少なからずあるはずである。オリンピックは、そういう人々の命を踏み台にしてまで開催しなければならない行事には到底思えないのだ。僕の考えは、日頃からクラスの仲間にも話していた。クラスの人それも割と多くの人たちは、この意見に賛同してくれた。しかし別の数人は、頑張って来た選手のためにも開催した方が良いという意見を僕にぶつけてきた。先日も僕が大好きな選手が金メダルをとった事を喜んでいたら、その中の1人であるAが夏季補講期間中の休み時間中に僕の前に仁王立ちになり、「お前、オリンピック開催に反対してたよな。なのに金メダルに歓喜するなんて、手のひら返しもいいところだな。」と噛みついてきた。

僕は「オリンピック開催は今も反対だ。ただし始まってしまっているオリンピックで頑張った選手が栄冠を手にしたことを称える事はあっても良いと思っている。だってオリンピックの開催の賛否と選手の頑張りという行為は別物じゃないか。オリンピック開催を賛成した人だけがオリンピック選手を応援したりオリンピックについての話題で盛り上がる権利が有り、反対した人はオリンピックに発言してはいけないというような考え方はおかしいと思う。開催前には選手達に開催の賛否を問うことは酷ではないかという世論が多く、社会の中にも様々な意見に対しての寛容さがあった。そういう寛容さがオリンピック熱が高まるにつれ国民1人1人の中で無くなってはいないか?こんなに勝っているんだからオリンピックは開催して正解だった。なのに開催を反対した者達はけしからん、なんていう空気になるのはやめようよ。もしメダリストの中にも開催反対派がいたならば、メダルを得る権利を失うのか?反対しておいてメダルを手にして喜ぶなんてけしからんという様になるのか?だとしたら、メダリスト達は自分の意見を正直に言えなくなってしまうよ。オリンピック開催の賛否が、その他の信条や行動に縛りを与えるという考え方がまかり通る世の中は、間違っている!」と、頭の中にある言葉を思いつくままに声にして言い返してみた。僕に噛み付いた彼は「なに訳のわからない事を言っているんだ、バ~カ!!」といい、数人の顔の無い仲間たちと僕をあざ笑いながら去って行った。

A達が僕から去って行った後も、このやり取りを遠巻きに傍観していた大勢の級友は、まるで僕の姿が見えないかの様に誰一人僕に声をかけてはこなかった。さっきまで僕と一緒に金メダルをとった選手の話をしていた友達さえ、僕の方に一度も視線を向ける事はなくなった。僕を無視したまま続くオリンピックを話題にした彼らの屈託のない明るく元気な声は、教室の窓に広がる青空と入道雲の彼方まで広がって行く様だった。連日のメダルラッシュは、オリンピック開催反対派を賛成派または物言わぬ人形に変える力を持ち始めていたことを、このとき思い知らされた。

その夜、僕の街はゲリラ豪雨に襲われた。何度も鳴り響く雷と、大粒の雨がトタン屋根をダダダダダダと連打する激しい音の中では、直ぐには寝付けなかった。それでも外の激しい物音に慣れて来たのだろうか、僕はいつの間にか眠る事が出来た。  豪雨の音の中、僕はいつもとは様子の違う夢をみた。

 

つづく

 

2021.8.3

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠

 

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