[副校長」 人を分けるもの

人を分けるもの
大河ドラマに刺激されて、こんな話を考えた。

運と実力さえあれば、己の身分・地位を如何様にも変えられた戦国時代も終わりに近づき、勝者と敗者が固定化される世に変わりつつあった。誰もが僅かに残されたチャンスを掴み、この時代を勝者で終える事を望んでいた。勝者であることの一つの姿が、侍になる事であった。侍になれば、周囲から一目置かれる存在になれるのだ。人里離れたこの村の男達も、その時代のうねりの中にいた。彼らは、皆侍になることばかり考え、汗と土にまみれて先祖代々の田畑を耕す者を見下すようになっていた。しかし、この村には侍はいなかった。村人の誰一人侍を見たことが無い。自分達が手本とするものは何も無いのだ。村の男たちは各々が思い描く侍になり、鎮守の杜に集った。

精一杯に着飾って腰に竹の棒を差している者はまだマシな方だ。中には身なりはそのままで、登り旗に大きく「侍」の文字を染め上げて振り回す者がいる。自分より弱い者を集めて服従を強要している者もいた。皆自分の姿・行動に満足し、酔いしれていた。
この日から数日後、村が戦火に見舞われた。田畑が合戦の舞台となり、家が焼かれ、女・子供が大勢殺された。村人達は自称『侍』の男達に、敵に立ち向かうようお願いに出かけた。・・・

今考えているのはここまで。この先の展開をどうしようか、我が家にある日本刀を取り出し眺めながら思案に暮れた。そもそも真の侍や武士道とはどのようなものなのだろう。武士にとっての刀とは、今で言えば何にあたるのだろう。本物の侍や武士を見たことの無い自分は、いつしかこの話に登場する村の住人になっていた。

南部藩士の三男として生まれた新渡戸稲造が「武士道」を執筆してからおよそ百年。この間に新渡戸が世界に紹介した「武士道」や「大和魂」は、我々の生活から遠い存在となってしまった。そういえば、私が子供の頃の喧嘩では、武士にとって非常に屈辱的な「卑怯者」という言葉を使い相手を罵る者が少なからず居た。しかし、この言葉、今ではめっきり聞かなくなった。それどころか、他人より少しでも楽をしながら人一倍甘い汁を吸おうという輩が、肩で風を切って歩いているような有様である。

新渡戸はその著書の中で、「武士道の活力をもたらすのは精神である。精神が無ければ最良の装備もなんらの利点とならない。現代の教育制度をもってしても臆病者を英雄に仕立て上げることは出来ない」、「民主主義はいかなる形態の特権集団をも認めない。だが、武士道はじつのところ知性と文化を十分に貯えた人々によって組織された特権集団の精神だった」と述べている。さらにその精神は「我々が預かっている財産にすぎず、祖先及び我々の子孫のものである。したがって、現在の我々の使命はこの遺産を守り、古来の精神を損なわないことである」と論じている。

誰もが如何様にもなれる平成の世。刀は「学び」という行為に置き換えられまいか。「学び」はひけらかすものでも相手を打ちのめすものでもなく、己を守るものであり、己を引き締めるものである。また、「学び」は常に磨きをかけ続けなければ錆付いてしまうのだ。高校で学ぶ者達には、この学びという刀をしっかりと身に付け大地に立っていただきたい。その上で知性と文化を十分に貯え、名誉・義・勇・仁・礼・誠に溢れる品性ある若人に育って欲しい。それこそが真の侍であり、人間を二つに分けるものなので、アル。

 

2016.2.17  副校長  伊坪 誠

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