[副校長] さざなみ

『さざなみ』

 

先日、憲法改正の手続きに関する国民投票法の改正案が衆議院で可決した。なんでも国民投票をし易くするための改正であるそうだ。しかし、菅総理大臣は以前から「憲法改正の議論を進める一歩として、国民投票法改正案の成立を目指していかねばならない」と発言していたことから見るに、憲法改正をし易くするための布石としての法改正であることは否めない。第一歩があるという事は、二歩目以降が待ちかまえているに違いない。その歩みのどこかには、憲法改正についての「議論を深める」という事が有るのだろう。そうなった時、国民の間で議論が深まるためには、何が必要なのか考えたい。

本校の廊下には書籍や新聞記事を中心に多くの情報が配置されている。その中に混じって次の様な言葉が掲示されている。「18歳からは選挙権が与えられます。選挙に参加出来る権利が与えられるということは、現在の社会状況を知り、人々と共に未来を作るという義務が生まれたということです。あなたは、あなたの街や県、そしてこの国や世界に、どんな未来を描きたいですか?」。教育界に身を置く立場として出来ることのまずはここから。何のための参政権であり、どうするための投票なのかを生徒に考えてもらうことが「議論を深める」第一歩。18歳から選挙権が与えられたにもかかわらず、教師は校内で政治的な発言をすることは控えよと国からは言われている。ならば、生徒達に議論の種を蒔こう。種としては、政治家の言動を取り上げてみるのも面白い。例えばGW後の緊急事態宣言延長に関する記者会見で「人流を抑えることが出来た」と成果を誇った首相。日本の感染者数を海外と比較し「さざ波」と表現した内閣官房参与。データの取り方で政策を正当化したり、数字の下で苦しんでいる人に心が及ばない想像力なき政治家達。宣言を延長しても頼みの綱はワクチンだけ。そこから思い起こされるのは、都合の良い情報を取り出し劣勢を優勢であると主張し、人の命を数字でしか見なくなって行った太平洋戦争中の政治家や軍上層部の思考である。戦況が逼迫していても神風さえ吹けば戦況は好転すると考えていた彼ら、誰も責任をとらずひたすら国民に我慢を強いるところまで今の状況と似過ぎて見える。

まっとうな議論や腰を据えた政策をすることなく、データの改ざんや論点のすり替え、更には数時間の国会審議で議論は尽くされたと数にものを言わせた採決で政局を乗り切ろうとする政治家達。彼らの振る舞いの根底には、その程度で今の世論はどうにでも操れると思っているからに他ならない。真に議論を深めてより良い社会を築いて行く覚悟が政治家達にあるのなら、今の政治についても様々な意見を交わし議論を深めながら政治家と共に未来を創造していく、しっかりとした国民を育てる仕組み作りを是非教育に導入していただきたい。そのためには、生徒たちが今の政治を見詰めながら未来をどう創造して行くかという議論を自由に出来る教育環境が少なくとも高校からは不可欠だ。環境問題や貧困問題など、学校では一昔前に比べ社会で起きている様々な問題について議論出来る環境にはなってきた。しかし、各問題は他の問題と密接に関係しており、単独で解決することは現実的でない。だからこそ様々な事柄を組み合わせて効率的に解決・創造していく政治の役割は大きい。その問題解決に大切な政治について、子供たちがもっと関心を持ち、政治の力で社会を変えて行ける可能性について学ばせたい。そのうえで政治や社会に対して厳しい視線と温かな心を持った人々が今よりももっと増え世論を形成して行けたなら、「その程度」と政治家が世論を見くびることも減るに違いない。

子供達が大きくなる近い将来、国民の努力や声や眼差しが政治家達に「さざなみ」などとあざ笑われて切り捨てられることなく、社会を良く変えて行く大きな波となりますように。そのような環境が整ったうえでの国民投票となる事を願っている。

 

2021.5.14

 

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠