[副校長] 題名「     」第九話 最終話

題名「     」第九話 最終話

翼の生えた彼女か飛ぶ姿は、僕の心を駆り立てた。彼女に何としても追いつきたい、捕まえたい。そして、どうして翼が生えて僕の前を悠然と飛ぶのかの理由を知りたいという気持ちで一杯だった。その目的を果たすため、初めは夢中で走った。でも実を言うと、走ってばかりいたわけではない。時には歩くこともあれば、立ち止まることもあった。転んだ痛さで、暫くの間その場に倒れ、うずくまることも。でも、転んでも必ず立ち上がった。立ち止まったとしても、やがては歩くことを再開した。大切なのは速度ではなく、ゆっくりでも前に進むこと。そうやって追いかけているうちに、空を飛ぶ彼女を見失っても慌てなくなった。姿が見えなくても進むべき方角が自ずと分かるようになってきたのだ。その結果、僕は何者でもない者達が何者かになるために集まるこの大きな鉄塔の建つ街にたどり着いて、僕の目の前にいる男と出会えた。そして今僕は、テーブル越しに座る男が僕の質問(コミ力を付けるために必要な3つの力を育てるために時間をかけておこなうことは?)にどう答えるのか、うずうずとしているのだ。

そんな僕の目を見ながら、男はゆっくりと話し出した。

「色々な経験をすること。経験から、より良い心を育むこと。そしてその良い心を持って次の経験をすること。そうやって人間性を磨いて行くことだよ。勿論、伝える為には言葉を学ぶ必要もあるね。」

男は少しだけ胸を張り直し、話を続けた。

「経験とは、学校でやる勉強だけではない。好きなジャンルの読書、他者との関わり、趣味やスポーツ、異性を好きになることだって経験だ。つまり経験とは、毎日の生活の中にある様々な事柄のこと。そのことを通じて考えを深め広めることが、より良い心を育むのだよ。しかし、ここで忘れてならないのが、『自己を客観的に省みる目』を持つということだ。これが無ければ、いくら経験を積み、心を成長させたとしても、良く育つかどうか分からなくなる。キミも旅の途中で見たのではないかな?人を引きつけるコミュニケーション力を持ちながらも私利私略の強い独善家を。人はいくら学問や芸術そしてスポーツなどの経験を積んで心を成長させたとしても、その心がどう成長するかは、この自己を省みる目を持つか否かが大きく影響するんだ。」

男がそこまで言い終わったタイミングで、ウエーターが僕らのテーブルにコーヒーを運んできた。男は熱いブラックコーヒーを一口飲むと、さらに話を続けた。

「そういえば、さっきキミが夢の中で観たと言っていたラファエロの描いた「アテネの学堂」。絵の中に太陽神アポロンと女神ミネルヴァがいただろう。この二神があの絵に描かれた理由を、キミはどう考えるかな?」

僕はしばらくテーブルに目を落とし考えてみた。入れたてのコーヒーから湯気がゆっくりと立ち上っている。

「アポロンは理性と調和の神だから、学問をする上では常に理性と調和を重んじなさいという意味なのかも知れません」

僕の答えを聞いた男は、大きく頷いた。

「では、女神ミネルヴァが描かれている理由は?」

男が僕に答えを促す。

「女神ミネルヴァは、ギリシャの女神アテナと同じと考えると、彼女は学問と戦争の神。学問と戦争の神が同一なのは、この二つは紙一重という事の証で・・・。理性と調和を持った『自己を省みる目』を持たないと・・・つまり間違った学びをすると、学問は争いを招いてしまうという意味かも知れません。でも・・・もしかしたら、学問を続けて行く者は何か・・・例えば不正や圧政、人間の尊厳を脅かす一切の物事、そして自分自身の弱さとか・・・と戦い続けなければならないという意味なのかも・・・。」

僕は頭の中でまだ意見が纏まらないながらも、テーブルに置かれた飲みかけのコーヒーを見詰めながら不安げに、それでも勇気を持って言葉に出してみた。

その様子を見ていた男は、手に持っていたコーヒーカップをテーブルに置くと、僕の肩に右手をそっと置いて、微笑みながらこう囁いた。

「ゆっくりで良いのだよ。ゆっくりで良いから着実に前へ。自分の脚で、自分の歩幅で。経験から学び、学びから自分を磨き、自分の言葉と行動で社会を良いものにしていこう。」「Ars longa, vita brevis」(アルスロンガ、ウィータ ブレウィス)

その声は、この旅のどこかで聞いたような懐かしさのある、穏やかで心地の良い響きだった。その手の感触は、何故か神の祝福の様な温かさを感じた。

僕は、はっとして顔を上げ、前を見た。今さっきまで僕の目の前にいた筈の男の姿はもう無かった。そこにはただ、飲みかけのコーヒーカップからゆっくりとのぼる湯気が、西日にキラキラと照らされ輝いていた。

一人になった僕は、行く当ても無く鉄塔の建つ街を歩いた。レンガづくりの建物が並ぶ町並み、新聞を持って歩く人、カフェには相変わらず話で盛り上がる人の姿が見える。石畳の道を何度も曲がって歩いていると、突然大きな広場が現れた。広場はたくさんの大きな道路に囲まれるようになっていて、道路にはたくさんのクルマが行き交っている。その広場の中央には石づくりのポールが一本、天に届けとばかりに高く聳えている。そのポールの先には天使の像が一体、翼を広げ飛ぶようなポーズをしている。あまりの高さと沈みゆく西日が逆光となり、天使の像の顔は、はっきりとは見えない。しかし僕は直感的に理解した。ポールの上で翼を広げる天使は、僕の彼女に違いないということを。

僕はポールの上の天使を仰ぎ見ることの出来る歩道の隅に座り込み、この旅の記憶を辿ってみた。コロナ禍の社会、オリンピックへの賛否、クラスのもめ事、そしてたくさんの夢の場面と出逢った人の言葉たち。きっとそのどれにも何らかしらの意味があり、学びがある。それらの意味や学びを、僕はこの後も考え続けてみよう。もちろん、これから先の毎日で、僕の前に現れるであろうたくさんの物事や人との関係についても。そうだ、まだ耳に残る「Ars longa, vita brevis」(アルス ロンガ、ウィータ ブレウィス)の意味も調べ考えよう。

そして僕の住む世界に戻ったら、家族ともクラスのみんなとも、もっともっと思いを交換しあおう。もちろん、僕の彼女とも。そういう日々の行動から、キラキラとした新しい何かがたくさん生まれて行く様子を、僕は公園を取り囲む大通りを走り過ぎて行くクルマたちのテールンプを眺めながら想像した。

秋の夕暮れ時はとても短い。あれこれと考えている僕の足元にも、夜の闇が近づいている。のんびりしていては、今夜の宿も探せなくなりそうだ。

「でも、それも良いのでは」と、僕は呟いた。

高く聳えるポールの上で、月明かりに照らされ始めた天使が優しく微笑んでいる。

 

 

2021.9.4

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠

 

 

 

<あとがき>

私にとっては、生まれて初めて最後まで書き上げた小説となりました。これから何者にでもなれる皆さんが、この小説を読んで何かを感じ、毎日の生活の参考にしてくれたら幸いです。

さて、今回の小説、題名は最後まで決めませんでした。これは、読者の皆さんの心の中で何物にもなれる小説という意味も込めています。あなたなら、どんな題名を付けますか? 是非考えてみてください。よろしかったら、私にも教えてくださいね。

最後になりますが、主人公と一緒にここまで旅を続けてくれた皆さんに感謝すると共に、幸多かれとお祈り申し上げます。

私にとっても主人公の少年にとっても、正に「真夏の大冒険」でしたw

 

 

 

 

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